最近の情報収集法と私の過去について
私は無意味に情報を集めるのが好きです
最近では専ら本かYouTubeからの情報収集が多いのですが、その中でもミルミルJAPANの偉人伝が好きです
ピザーラの創業者 浅尾秀則氏
オッス オラ損5億 投資家cis氏
などが上がっています
みなさんも一度観てください
成功者は一度も外れた道を歩まず真っ直ぐ進んでいるような気がしませんか?
しかしミルミルJAPANの偉人伝に出てくる方々は普通の人なら挫折しそうな場面でも、そこから這い上がって地位を築き上げた人ばかりです
私自身、失敗ばかりしています
そんな時、この人達の動画を見て励まされています
人の話は成功談より失敗談の方が肥やしとなる
この言葉に似たような言葉を聞いたことありませんか?
これに加えて挫折からの逆転劇までが私が参考にしている部分です
そんな私自身の人生もこの人達とは違いますが挫折ばかりだったので書いていきたいと思います
私は田舎で生まれて育ちました
小学校は1学年1クラス
全校生徒が約100人前後
そんな小学校に入学して、算数で大きく躓き勉強嫌いになりました
そしてテストで点数が取れなかったり、授業中に当てられても答えられない日が続き、いじめられる日々が続きました
公文式に通い始めるが成績は上がらず、公文式の先生や祖母から落ちこぼれと言われ始めます
さらに自宅では父親のしつけが厳しく、機嫌に左右される日々
特に成績表が悪ければ灰皿を投げられたり、蹴られたり、頭を殴られたりしました
真冬の外に裸足で出されて、玄関の鍵は閉められたりもしました
田舎なので街頭もなく真っ暗で寒いし凄く怖かったです
きっと両親の教育方法は子供に恐怖心を与えて子供を自分の支配下に置こうとする教育方法だったのでしょうが、これは今でも反面教師だと思っていて自分が教育を変えたいと思った1番の理由にもなっています
一方学校生活ではクラス替えが無いので6年生までいじめられました
その頃には手先が不器用な事にも気が付き、頭悪くて不器用という立場にまで追いやられていました
中学生になり、違う小学校の生徒と合併しましたが1学年1クラスは続きました
その結果、中学3年生までいじめられ続けました
もちろん反発しましたがケンカにも負けてしまったので9年間いじめられたことになります
そんな中、中学生になり父の当たりがさらにキツくなりました
例えば成績が悪いと壁を殴って穴を開けることに加えて毎週日曜日は友達と遊ぶ事を禁じられ、野球ゲームをしなければならなかったのです
一見楽しそうに思うかもしれないが、決して面白味はなかったです
なぜなら父の機嫌取りをしなければならないいわゆる接待ゴルフのような状態だったからです
ルールは今でも忘れていません
ルール1 私が2連勝しなければならない
ルール2 父親の有利となる条件でコンピュータの設定をする→有利な条件とは私がマニュアルでミートカーソルを動かし、父はオートマチックにする
さらに守備の操作が得意な私に守備をさせないために守備はオートマチックにする
酷い時にはそれに加えて父が選んだ弱小チームで勝たなければなりませんでした
それだけハンデを与えても私は強く試合を支配していました
だから始まってすぐに2連勝することも可能でした
一度、朝8時から始まる野球ゲームで2連勝した時がありました
すると凄く怒られて、威嚇されて怖い思いをしました
その様子はまるで車から降りてくる煽り運転をする人みたいに
それだけではありません
父はゲームを壊して捨てようとしたのです
今考えれば壊してもらった方が好都合だったかもしれませんが、友達がいない私にはゲームだけが友達だったので辛かったのです
それ以来、私はわざとに負けて4時間くらい毎週ゲームに付き合うことにしました
それからゲームにハマったのか父はたまに平日もしようといって対戦させられた事もありました
凄く辛かったです
また母も父に怯えて私のゲームを止める事はなかったです
ゲームが終わって昼からは自室にこもって怯えていました
4時間もゲームをすると頭がガンガンして痛い
勉強するつもりもなかったのですが、勉強する気にはとてもなれなかったです
私は学校でも家でも逃げ場を失いました
本気で自殺しようとした事もありました
電話相談室にも電話しようとしましたが、そのことがバレて怒られたくなくて電話もしませんでした
また父が機嫌が悪い日に私が何かをしてさらに機嫌が悪くなり包丁で殺してやろうかと言われた日には本気で殺されると思ったので、電話する事で殺される心配すらしてしまいました
気持ちは毎日ビクビクしていました
いつ殺されるか分からない、捕虜のような気持ちでした
その結果、人に心を開くのも辞めてしまいました
だから学校ではなるべく人と話さずに図書館で読書をしていました
私はもはや人間では無い気がしていました
そんな私は偏差値40の高校生になりました
当然です
勉強なんかしていないですから
平日、塾や家庭教師を読んでもらいましたが、頭は毎日ボーっとしていました
だから成績が上がる訳がありませんでした
しかも今の私から言わせれば彼らは教えるのが下手くそだったと思います
なぜなら分かっている人は馬鹿な子供がなんで分からないのかが分からないんですから
私は頭が良くない代わりに分からない子どもがなぜ分からないのか理解できます
私はそこを説明するのが得意で、今は教壇に上がる事ができています
学校生活での私に戻りましょう
私は学校で先生の言いなりになりました
すると先生は私を評価してくれました
その結果、私は「いい生徒」として扱われました
だからテストでは5教科で150点だったのにも関わらず評定はオール「3」でした
その成績を毎回取っていたので、先生にとって都合の「いい生徒」を演じて自分を偽り続ければ評定は上げてもらえると思っていました
(そのせいで専門学校では成績を採らないと進級できないから苦労しました)
しかし高校生になり、私の生活は良い方向へ少しずつ変化していきます
それはまた今度お話するとしましょう
今考えると現在の私とは随分かけ離れた人間として生きていたので凄く苦しかったし、思い出すとまた苦しいです
だからこそ、私は教育を変えたいと思っています
支配する教育は臆病な人間を育て上げ、大人になっても後遺症は残ります
犯罪者の性格をみてください
近所では挨拶を良くして凄くいい子だった
真面目だった
そんなことを聞きませんか?
思春期にいい子だったのは危険です
思春期は反抗期をしっかりと体験しなければならないと私は思います
それを抑制する事は絶対にしてはいけません
昔は凄く悪くて、道を外して生きている人と周りから作られた真面目な人が犯罪を犯すのはどちらが多いでしょう?
多分真面目な人間だった人が多いのではないでしょうか?
親の作った檻から出て自由になって犯罪を犯しているように思います→私は因みに犯罪してません!高校生の時、少し伸び伸びしましたから
だから私は伸び伸びする教育を提唱していきたいです
だからこそブログで自分の人生のレシピを発信していきたいと思います
ぜひ見ていただけたら幸いです
以上